「沖ノ島」が宗像神社の他の遺跡を含め世界文化遺産に登録されることになった。
遺産登録の話が出てから、マスコミでもたびたび取り上げられている。年1回の儀式以外、基本人の立ち入りを許さず、完全に女人禁制が1,000数百年守られてきた。禁を破っての昭和の学術調査で、手つかずのままの祭祀跡が発見され、8万点に及ぶ遺品が発見されすべてが国宝となっている。
海の正倉院とも呼ばれているが、4世紀に遡るとされるこの遺跡は同時代文章の残る奈良の正倉院より更に重要な歴史のメッセージが伝えられていると考えられる。
沖ノ島の遺跡と遺品が重要なのは「神道とは何か?」について物証として物語っている点である。現在の神社は一般に大きな拝殿、本殿を持ち、多くの人がそこに詣でるという形式になっている。沖ノ島も宗像大社の一部であり、海べりの辺津宮は大きな神社であり、大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮にもそれぞれ建物が建っている。
しかし、沖ノ島の遺跡は建物ではなく、島に林立する巨岩の上の平らなところ、ないし岩陰に祭祀跡があり、遺品が残されていたのだ。いわば神道の元型がタイムカプセルに入って1,000数百年奇跡的に残されてきたのである。(辺津宮にも高宮という古代の祭祀跡と見られる遺跡がある)
沖ノ島の遺跡は、古代の神道、ひいては「日本とは何か?」を知るための貴重な遺跡である。世界の人々に知ってもらうことも重要だが、それ以上に我々日本人が自らのルーツを知るために注目しなければいけない「古代からのメッセージ」である。