神武天皇を祀る橿原神宮と畝傍御陵は奈良の橿原市にある。神武天皇が東征ののち、初代天皇に即位し、皇居を置かれた地と伝えられている。私の卒業した畝傍高校もこの市内だ。
こういったご縁もあり、本を出版して少しした頃、市長の森下豊さんに手紙をそえて拙著を郵送して謹呈差し上げた。少し時間も経って、そんなことも忘れかけていた先週のこと、秘書の方から電話があって「来週そちらに市長が行く予定なんですが、お会いできますか?」とのことである。「もちろん、喜んで」とお答えしたところ、今秋お会いする手筈となり、火曜日にご訪問頂いた。
私とほぼ同世代だが、3期日を務めておられ、ハツラツとして油が乗っている印象である。橿原市政のこともいろいろと話して頂いたが、来年には八木駅に市庁舎兼上層階がホテルというパイオニア的な建物がたつという。ちょっと驚いたのはそれが10階建てだが、奈良では最も高い建物になるそうである。景観から高い建物は規制されているのである。
市長は有難いことに拙著を読了していただいたそうで、かつあちこちで話のタネとして話してくれているというのである。やはり、地元として神武天皇への思いは強くもっておられ、今後も日本の発祥の地として様々な取り組みをしていきたいとおっしゃっていた。
本を書いたことで、こんなご縁も広がるものと、改めて納得した次第である。せっかくのご縁を大切にしたいと思う。
2016年11月17日木曜日
2016年11月14日月曜日
「古代史シンポジウム」への疑義 1
拙著『よみがえる神武天皇』では、日本書紀を春秋2倍暦仮説で読み解くことで紀年を正し、その年表(新紀年表)に考古学の成果を重ねていくことで、大和の国が成立する姿を描きだした。
しかし残念ながら(当然でもあるが)依然として古代史学会や歴史教育では私が「土器と墓と卑弥呼」の古代史と呼ぶ状況が続いている。
今回まさにタイムリーというべきか、角川文化振興財団から古代史シンポジウム「発見、検証、日本の古代」という昨年開催されたシンポジウムをまとめた本が出版された。
内容を見てみると、基本は2本柱で「魏志倭人伝」の解釈の深化と考古学の成果を基にし、その柱の上に古代史像を但み立てようとしている、まさに「土器と墓と卑弥呼」の古代史である。
よい機会であるから、この場所でこの本の内容を採り上げ徹底的な批判を加えてみようと思う。
乞う、ご期待!!!
しかし残念ながら(当然でもあるが)依然として古代史学会や歴史教育では私が「土器と墓と卑弥呼」の古代史と呼ぶ状況が続いている。
今回まさにタイムリーというべきか、角川文化振興財団から古代史シンポジウム「発見、検証、日本の古代」という昨年開催されたシンポジウムをまとめた本が出版された。
内容を見てみると、基本は2本柱で「魏志倭人伝」の解釈の深化と考古学の成果を基にし、その柱の上に古代史像を但み立てようとしている、まさに「土器と墓と卑弥呼」の古代史である。
よい機会であるから、この場所でこの本の内容を採り上げ徹底的な批判を加えてみようと思う。
乞う、ご期待!!!
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