2016年7月30日土曜日

7月28日の出版説明会での解説の内容

7/28の説明会では「大和の国建国の真実」と題しまして、以下の内容で著書の内容の解説をいたしました。

古代史に関心を持ったきっかけ
⇒高校生の時には神武天皇は架空の人物だと思っていた。しかし、10年ほど前から「本当にそうなのか?」と考えはじめ、自分なりの理解を積み上げてきた。

現在の古代史教育の過ち
⇒戦前の天皇を絶対視する考え方への反発から、左翼思想を土台にした考古学と中国史書だけに基づく「土器と墓と卑弥呼」の歴史を教えている。その「ヤマト王権」像は顔がなく、前方後円墳が主役のなんとも不気味な政体だ。

日本書紀と古事記の関係
⇒なぜ古代の史書として古事記と日本書紀の2冊が存在するのか?についての「牧村仮説」を説明した。

日本書紀は信用出来るか?
①古代の天皇の異常な高齢記録と結果としての神武天皇即位が紀元前660年という年代のおかしさ。
②日本に文字がない時代の「伝承」に基づいている。
③「天皇支配を正当化するために捏造された歴史書」というレッテル。

これらによって「日本書紀は信用出来ない」とされている。

ところが、

①「三代の都」として日本書紀が記録している纏向(奈良県桜井市)でこの時代に最も大きい遺跡が発見されている。
②埼玉の稲荷山古墳から出土した鉄剣に、地方豪族の系図が残され、一族の始祖を「オオヒコ」としている。これは日本書紀が8代天皇の皇子として記録している人物である。

といった事実がある。
これらを見ると、日本書紀のもとになった「伝承」は実は極めて良質な真実を伝えているのではないか?

「春秋2倍暦仮説」という古代史を解くカギ
⇒日本書紀の年代記述のおかしさを説明する仮説として、古代の日本では1年に2つ(春と秋)年齢を増やしたのでは、という春秋2倍暦仮説がある。この説を前提として日本書紀の年表を修正した「新紀年表」を作成した。この新紀年表の年代記述は、考古学の石野博信先生の纏向遺跡の年代推定などと正確に一致することを説明した。

「神武東征」の時代背景
⇒新紀年表では神武天皇の即位は紀元前37年となって、弥生中期に分類される時代である。この時代は、高地性集落、環濠集落という城塞型の集落が全国に広がった戦争の時代だ。この背景となったのが、この時代の希少な稲作適地をめぐる争いであった、という「牧村仮説」を紹介した。

「神武東征」の実像
⇒この時代、先進地帯の北部九州では稲作による生活の安定から人口爆発がおこった。貴重な稲作適地を求めて東に向かって多くの若者が旅立ったのである。そんな中に、より条件に恵まれない日向の地から、村の友たちと語らって故郷を旅立った若者がいた。東にあるという大和という美しい地を目指して出発したのである。彼は知恵と勇気と計画性、人を集める人望と不屈の魂で大和の地で成功を収めた。
そして後世、この若者は神武天皇と呼ばれることになった。

この素晴らしい成功の伝説を子供たちに教えることはたいへん重要である。


纏向三代
⇒神武天皇の建国、と言っても実態は南大和の地方豪族の地位を得たに過ぎない。ではなぜ(出雲でも吉備でも北部九州でもなく)この地方豪族だった大和の国が纏向三代(崇神、垂仁、景行天皇の時代)で日本を治めることになったのか?
この、今まで誰も答えていない古代日本史の大問題について、神道と灌漑による米作り大和国システム)を教え広めたことによる、という「牧村仮説」を紹介した。

邪馬台国と大和の国
⇒時間がなく邪馬台国問題は詳しく話せなかった。卑弥呼は九州の地方勢力であること、魏志倭人伝は政治的な目的をもって事実を改ざんしていること、景行天皇が九州親征の最期で、277年に福岡の浮羽に至ったころに邪馬台国は大和の国の傘下に入ったであろうことをお話しした。

仁徳天皇の実像
⇒仁徳天皇のエピソードも最近は若者に伝えられていない。古来、有名なエピソードとして民のかまどがある。仁徳天皇が民衆の住まいから炊事の煙が出ていないのを慨嘆して課税を3年間停止したという逸話である。一方、世界一の墓陵である仁徳天皇陵の主としても知られているが、この両者には大きなギャップがある。巨大墓陵は民衆圧迫の象徴とされてきた歴史があるのだ。この大きなギャップを埋め、一人の人間としての仁徳天皇像を描けるだろうか。

ポイントは、
    仁徳天皇は大土木王であり、難波の堀江(大阪の大川)を掘削し。茨田の堤を築いて淀川を征した。これによって大坂自体を作り出し、広大な田畑を生み出した。そしてこの手法で全国で巨大開発を推進、そのモニュメントが全国の中期の巨大古墳である。
    高句麗の好太王の南進政策に対抗して応神天皇以来の直轄領である任那、属国の新羅、保護国の百済を指示、支援して韓半島で激闘を演じ、好太王の巨大な圧力を何とかしのぎ切った。

    仁徳天皇陵は周りの状況から見ても古代の巨大なため池であり、ダムである。仁徳帝は死してなお、民衆の田に水を送り続けたのである。

このようなスケールの大きな「おおきみ」を過去に持つことができたことを我々は誇りに思おうではないか、と結んだ。



2016年7月29日金曜日

「よみがえる神武天皇」出版説明会を開催しました。

7月28日(木)文京シビックホールにて「よみがえる神武天皇」出版説明会を開催しました。
多数のご来場をいただき、誠にありがとうございました。
牧村による本の内容説明と、立食による懇親会を行いました。
講演内容については要約をアップする予定です。 ⇒ 要約のページ

説明会場
プレゼン資料表紙

講演ダイジェスト(約20分)


奈良県立畝傍高等学校のかわいい後輩(?)の高市早苗総務大臣から祝電をいただきました。
考古学の巨人、石野信博先生からお祝いの手紙をいただきました。
竹本和美さんがさっそくFacebookで紹介してくれました。 ⇒ FBページ
ありがとうございました。

2016年7月25日月曜日

纏向遺跡の発掘につき

先日、考古学会の巨人、石野信博先生と久しぶりにお話する機会があった。
先生は、畿内説の大家、小生は九州説の書生だが、実にフランクにお話してくださる。人間の幅が広いのである。

様々、話をさせていただいたが、纏向遺跡の発掘の話になって驚いたことがある。
この大和の国揺籃の地、いわば日本国の聖地というべき遺跡の発掘に予算がほとんどついていないのだという。
一般の寄付を募って細々と発掘が続けられているのだそうだ。

片や佐賀の吉野ヶ里遺跡は、全面発掘して建物が100ほども再現されている。
なぜか国交省の予算が入っているらしい。

一体文化行政はどうなっているのだろうか?

2016年7月21日木曜日

出版説明会への参加お申込みについて

7月28日(木)P.M.6:30から「よみがえる神武天皇」の出版説明会を開催します。
関心のある方はどなたでも参加可能です。
お申し込みは安斉(anzai@t-arts.co.jp)、または牧村(takeshi.makimura@gmail.com)まで。

2016年7月19日火曜日

「よみがえる神武天皇」出版説明会のご案内



友人が以下の説明会を企画してくれました。心より感謝しております。
これまでご面識のない方も、ご興味がありましたら是非参加申込みしてください。(牧村)

出版説明会のご案内

 拝啓、すでに盛夏と申せるような暑さが続いておりますが、皆様ご健勝のことと存じます。

 さて、この度牧村健志氏が「よみがえる神武天皇」を出版されました。突然の事にて驚かれた方も多かったと思います。つきましては、ご本人に、本の内容のあらましを説明していただき、出版の経緯も聞く機会を設けたいと存じ、以下の説明会を企画しました。
 ご多忙中、まことに恐縮ですが、お繰り合わせの上、ご参加いただければ幸いでございます。
 なにとぞよろしくお願いいたします。  敬具

                            平成28年7月
                            発起人 西村 大志郎


             「よみがえる神武天皇」出版説明会

 日時 728日(木)午後630 開始(615開場)
 場所 文京シビックセンター26階 スカイホール
 内容 講演 「大和の国の建国の真実」

    ・二倍暦と神武天皇建国の実際
    ・纒向時代の大和の国の全国への発展
    ・大和の国と卑弥呼の関係
    ・仁徳天皇の大いなる実像        
           

これらのテーマを牧村健志氏に1時間30分話していただきます。(入場は無料です)
そのあと、8:30から9時過ぎまで立食による簡単な懇親会を行います。
(参加自由、会費2000円)
お友達、歴史に興味のある方などお誘いあわせてご参加ください。
お問い合わせ、お申し込みは安斉まで。 (anzai@t-arts.co.jp


2016年7月1日金曜日

「よみがえる神武天皇」出版のご案内



<ご案内>

 牧村健志です。

 日本人は自らの誇りを取り戻すべき、との主張は戦後70年を経て様々な人々の胸に抱かれていると思います。しかし、敗戦で破壊された国土は復興されましたが、日本人のアイデンティティは残念ながら復興されたとは申せません。

 それは国の原点である建国の歴史について、人々がどんな認識を持つようになっているかを見てみると明らかです。現在の歴史教育は、左派系の教条主義をベースにして1950~80年ごろに構築された歴史観を無批判に伝承しています。それはベルリンの壁崩壊以前の前世紀の遺物と申すべきものでしょう。 

 そこでは、魏志倭人伝を中心としてシナ史書に至上の価値を置き、古事記、日本書紀についてはこれを低しと見ております。しかし、本当にそうなのか?日本書紀は本当に左翼系の歴史学者がかつて声高に唱えたような「天皇家の支配を正当化するためにねつ造された史書」なのでしょうか?

そんな疑問からもう一度日本書紀を根本から見直してみました。その中で見えてきた「大和の国建国の真実」についてまとめたのが、今回PHP研究所から発行することになった「よみがえる神武天皇」です。

本書が日本人の誇りを取り戻す一助となれば、これに勝る喜びはありません。




よみがえる神武天皇
―日本書紀の暗号を読み解く―



牧村 健志 著
PHP研究所発行
定価 2,500円(税別)

序 章 「土器と墓と卑弥呼」の古代史を見直せ
  ─政治思想で偏向された古代史教育
 今日の古代史教育は戦後の左傾史観をそのまま固定化した「前世紀の遺物」である。

第1章 日本書紀の年表は真実を伝えている
  ─「春秋2倍暦」仮説による古代史の再構築
日本書紀が伝える年代記述は一見荒唐無稽である。ところが「春秋2倍暦仮説」による修正を加えて作成した「新紀年表」では年代の配置が一挙に合理性を回復する

第2章 神武東征は志ある青年のサクセスストーリー
  ─狭野の尊は弥生社会の申し子
弥生時代には農地を求めて西から東へと向かう人々の大きな流れがあった。そこで最大の成功者となったのが、後世、神武天皇と呼ばれる大志ある青年である。

第3章 土木・灌漑技術と神道で日本を統一した大和の国
  ─(まき)(むく)遺跡の発掘で証明された日本書紀の正確さ
 日本書紀は大和の国が纏向に都を営んだ、と伝える。その纏向で、この時代の他に例を見ない遺構が発見されている。日本書紀と考古学の成果を合わせてみると「なぜ大和の国が日本を統一できたか?」という日本史上の大きな謎を読み解くことができる。

第4章 九州の邪馬台国は大和の国に吸収された
  ─300年の論争に終止符を打つ
魏志倭人伝を客観的に読み、さらに作者の政治的意図を読み解けば、邪馬台国が北部九州の一地方勢力に過ぎないことは明らかである。事大主義と迷信に淫した邪馬台国は、270年代に自主独立路線の大和の国に平和裏に吸収されたと考えられる。

第5章 みずほの国をつくった「土木大王」仁徳天皇
  ─仁徳天皇陵は古代の巨大ダムである
 世界最大の墓陵である仁徳天皇陵は「民衆圧迫の象徴」ではない。それは民を潤す古代の巨大ダムである。仁徳天皇は大土木工事を進めて国中で水田開発を行った。さらに新羅、百済を保護国とし高句麗の武闘王、好太王談徳と韓半島で大いくさを交える。

付 章 日本建国の道しるべとしての日本書紀
  ─語り部たちが命を懸けて伝えた物語
今日、日本書紀を読んだ事のある人は稀である。概観のため要約を付章に記した。


巻末:新紀年表(春秋2倍暦仮説に基づいて日本書紀の編年を見直した年表)