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牧村健志です。
日本人は自らの誇りを取り戻すべき、との主張は戦後70年を経て様々な人々の胸に抱かれていると思います。しかし、敗戦で破壊された国土は復興されましたが、日本人のアイデンティティは残念ながら復興されたとは申せません。
それは国の原点である建国の歴史について、人々がどんな認識を持つようになっているかを見てみると明らかです。現在の歴史教育は、左派系の教条主義をベースにして1950~80年ごろに構築された歴史観を無批判に伝承しています。それはベルリンの壁崩壊以前の前世紀の遺物と申すべきものでしょう。
そこでは、魏志倭人伝を中心としてシナ史書に至上の価値を置き、古事記、日本書紀についてはこれを低しと見ております。しかし、本当にそうなのか?日本書紀は本当に左翼系の歴史学者がかつて声高に唱えたような「天皇家の支配を正当化するためにねつ造された史書」なのでしょうか?
そんな疑問からもう一度日本書紀を根本から見直してみました。その中で見えてきた「大和の国建国の真実」についてまとめたのが、今回PHP研究所から発行することになった「よみがえる神武天皇」です。
本書が日本人の誇りを取り戻す一助となれば、これに勝る喜びはありません。
序 章 「土器と墓と卑弥呼」の古代史を見直せ
─政治思想で偏向された古代史教育
今日の古代史教育は戦後の左傾史観をそのまま固定化した「前世紀の遺物」である。
第1章 日本書紀の年表は真実を伝えている
─「春秋2倍暦」仮説による古代史の再構築
日本書紀が伝える年代記述は一見荒唐無稽である。ところが「春秋2倍暦仮説」による修正を加えて作成した「新紀年表」では年代の配置が一挙に合理性を回復する。
第2章 神武東征は志ある青年のサクセスストーリー
─狭野の尊は弥生社会の申し子
弥生時代には農地を求めて西から東へと向かう人々の大きな流れがあった。そこで最大の成功者となったのが、後世、神武天皇と呼ばれる大志ある青年である。
第3章 土木・灌漑技術と神道で日本を統一した大和の国
─纒向遺跡の発掘で証明された日本書紀の正確さ
日本書紀は大和の国が纏向に都を営んだ、と伝える。その纏向で、この時代の他に例を見ない遺構が発見されている。日本書紀と考古学の成果を合わせてみると「なぜ大和の国が日本を統一できたか?」という日本史上の大きな謎を読み解くことができる。
第4章 九州の邪馬台国は大和の国に吸収された
─300年の論争に終止符を打つ
魏志倭人伝を客観的に読み、さらに作者の政治的意図を読み解けば、邪馬台国が北部九州の一地方勢力に過ぎないことは明らかである。事大主義と迷信に淫した邪馬台国は、270年代に自主独立路線の大和の国に平和裏に吸収されたと考えられる。
第5章 みずほの国をつくった「土木大王」仁徳天皇
─仁徳天皇陵は古代の巨大ダムである
世界最大の墓陵である仁徳天皇陵は「民衆圧迫の象徴」ではない。それは民を潤す古代の巨大ダムである。仁徳天皇は大土木工事を進めて国中で水田開発を行った。さらに新羅、百済を保護国とし高句麗の武闘王、好太王談徳と韓半島で大いくさを交える。
付 章 日本建国の道しるべとしての日本書紀
─語り部たちが命を懸けて伝えた物語
今日、日本書紀を読んだ事のある人は稀である。概観のため要約を付章に記した。
巻末:新紀年表(春秋2倍暦仮説に基づいて日本書紀の編年を見直した年表)
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