よほど右翼的な人でも、「女性天皇」は駄目だと主張する人は少ないが、それが女系天皇に繋がるから反対だ、という意見は多い。
これは、今の時代に何を言っているのか、との意見も当然あるが男系天皇の歴史を守る側から言えば神武天皇以来125代、2000年超にわたって守られてきた伝統なんだから何としても守りたい、と考えるであろう。私もそう考える。
そもそも、男女平等という理念も、ここ100年以内に広まった流行思想であって、100年後にはどうなっているかほとんど予測不能であろう。そういう一時の新興宗教のドグマで、長く続いてきた伝統を壊すことは、後世から見れば文化的な蛮行と見られることもありえよう。(明治の廃仏、タリバンの文化遺産破壊など)あまり浮ついてはいけない。
しかし、である。もし男系が絶えてしまったらどうするのか?現実に悠仁様に男のお子様ができなければ現状ではあと数十年で男子皇族はいなくなってしまうわけである。どうするのか?
ここで一つの先例となるのが第26代継体天皇のケースである。(在位507年-531年)
第25代武烈天皇は日本書紀によれば若くして即位した暴虐の天皇で、妊婦の腹を裂いたり、木に登らせた人間を弓矢で射殺したりした。しかも、乱行の果てに18歳で亡くなり、跡継ぎを残さなかった。
困り果てた時の大連、大件金村は八方手を尽くして応神天皇の5世である「オトドの君」を見つけ出し福井から紹いた。そして武烈帝の姉である手白香皇女をめあわせた。(間に出来たのが欽明天皇である)
この例を先例とすれば、たとえば愛子内親王に数代前の天皇の男系の血を引く男性を迎えて入り婿とし、宮家とすればよいであろう。愛子様が男子を生まれれば皇位を継がれることに何ら問題はない。
出でよ、現代の大件金村!!
2017年5月23日火曜日
2017年5月19日金曜日
女性宮家問題と皇統
秋篠宮眞子様の婚約報道が流れ、お祝いの声がテレビやネットで多数流れている。おめでたいことである。
しかし、この報道と同時に議論がまた盛り上がってきているのが、女性宮家ないし、皇位の継承の問題だ。
今の皇室には今上陛下の直系の孫の世代としては男子は悠仁親王殿下のみで、内親王(天皇の直系で2親等以内の女性皇族)は愛子様と眞子様、佳子様しかおられない。よくぞ悠仁様がお生まれになったと言えるが、男系で繁いてきた皇室の歴史の前途に大きな不安があることは事実である。
そこで、女性宮家を創設しよう、という議論が出てくるわけだが、この意見は女系天皇を認めるという意味となる。女性天皇と女系天皇という紛らわしい言葉があり混乱する人もいると思う。女性天皇とは、まさに女性の天皇ということで、歴史上も推古天皇や持統天皇など8人の女性天皇は存在している。 これに対して女系天皇とは何かという問題だが、これは父の父の父の父の…と父の祖先をたどっても、初代神武天皇に至らない、どこかで母系を遡らないと初代に行きつかないケースの天皇という意味になる。
もし、現皇太子の後に愛子内親王が天皇となられた場合、これは(当然)女性天皇ではあるが女系天皇ではない。父をたどれば初代にたどり着くからである。ところが、そこで愛子内親王が今回の眞子様のように民間の男性と結婚されて男の子が生まれた場合、この親王は父方をさかのぼっても神武天皇には行きつかない。もしこの親王が天皇となった時は、これは男性天皇だが女系天皇になるのである。
しかし、この報道と同時に議論がまた盛り上がってきているのが、女性宮家ないし、皇位の継承の問題だ。
今の皇室には今上陛下の直系の孫の世代としては男子は悠仁親王殿下のみで、内親王(天皇の直系で2親等以内の女性皇族)は愛子様と眞子様、佳子様しかおられない。よくぞ悠仁様がお生まれになったと言えるが、男系で繁いてきた皇室の歴史の前途に大きな不安があることは事実である。
そこで、女性宮家を創設しよう、という議論が出てくるわけだが、この意見は女系天皇を認めるという意味となる。女性天皇と女系天皇という紛らわしい言葉があり混乱する人もいると思う。女性天皇とは、まさに女性の天皇ということで、歴史上も推古天皇や持統天皇など8人の女性天皇は存在している。 これに対して女系天皇とは何かという問題だが、これは父の父の父の父の…と父の祖先をたどっても、初代神武天皇に至らない、どこかで母系を遡らないと初代に行きつかないケースの天皇という意味になる。
もし、現皇太子の後に愛子内親王が天皇となられた場合、これは(当然)女性天皇ではあるが女系天皇ではない。父をたどれば初代にたどり着くからである。ところが、そこで愛子内親王が今回の眞子様のように民間の男性と結婚されて男の子が生まれた場合、この親王は父方をさかのぼっても神武天皇には行きつかない。もしこの親王が天皇となった時は、これは男性天皇だが女系天皇になるのである。
2017年5月3日水曜日
憲法記念日に思う事
本日は憲法記念日である。安倍首相は今日2020年に9条含め憲法改正したいと公表した、と報道されている。これは古代史ではなく現代の問題であるが、この機会に私の意見を述べておこう。
<護憲派と改憲派>
現行の日本国憲法については「護憲派」と「改憲派」が憲法制定以来ずっと意見対立している。気が遠くなるほどの時間と熱意がこの問題に注がれているが、なかなか「国民合意」に至らない。議論が深まっている様子も見えない。一体どうしてだろうか。
まず「護憲派」であるが、政治勢力では共産党や社民党などのいわゆる左翼、ないし革新勢力がこちら側、対して「改憲派」は自民党が中心だがこれは右派、ないし保守と呼ばれる。革新が守って保守が改めようとするという、言葉と反対である。
一般市民的には「護憲派」は基本的に反戦、ないし平和主義者、「改憲派」は国を守るには戦力も必要、と考えるグループにざっと分けられるだろう。改憲の動機としてアメリカに押し付けられた、という成り立ちに反発して「自主憲法」を制定するという考え方もある。
<理想的な憲法>
私はといえば、当然ながら改憲派に属している。理想としては聖徳太子の17条憲法、および明治維新の五箇条の御誓文を土台とした新しい憲法を創るべきと考えている。しかし、なかなかその理想像が見えてこない(創ってみたいが)。改憲派全般からも残念ながら決定版というべき新憲法案が提出できていないという状況であろう。
理想的な憲法に至るにはまだ時間が必要なのだろうけれども、最近の国際情勢の緊迫化をみると少なくとも自衛隊の合法化は喫緊の課題である。およそ常軌を逸した狂人が最高指導者と呼ばれている不思議な国がすぐそばにある。自衛隊は結構立派な装備と厳しい訓練を積んでいる隊士諸君はそろっているが、なにしろ法的に「戦力」ではないので、自分で作った様々な縛りがあり、どんな無法者が来ても法律をにらみながら防がねばならないという自縄自縛隊である。後ろ手で縛ってボクシングをせよ、とでもいう状況だ。
<日本の劣化の原因は9条>
最近ますます日本人は自分でものを考えなくなっているように思う。マスコミの報道を見ても、事実を述べるだけでその向こうにある原因に踏み鋳込もうとする姿勢がほとんど感じられない。薄っぺらなテロップのような報道が多い。
この原因になっているのが憲法9条だ、と言ったら飛躍しすぎだろうか。しかし私にはどうもそうとしか考えられない。憲法9条が根っこから自分で考える力を日本人から奪っているのである。
日本国憲法前文では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とし、9条で1項で戦争の放棄、2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と宣言している。
にもかかわらず、この国では戦後ほとんどの期間、国民は平和を謳歌し、深刻な危機感はほとんど持っていない。マスコミも現実感覚の乏しい太平楽を並べるばかりである。
なぜか?これは明文化されていないが第9条の第3項があるからである。そこにはこう書いてある。
第3項「危なくなったらアメリカにすがる。」
これだけ尽くしているんだから旦那さんは私を見捨てるはずがない。これが石原慎太郎が「日本はアメリカのメカケ」といったことの意味であろう。
こんな自尊心を失った日本人を見たら独立自尊のために命を懸けた維新の英傑たちは何と言うだろう。改憲は喫緊の課題である。
<護憲派と改憲派>
現行の日本国憲法については「護憲派」と「改憲派」が憲法制定以来ずっと意見対立している。気が遠くなるほどの時間と熱意がこの問題に注がれているが、なかなか「国民合意」に至らない。議論が深まっている様子も見えない。一体どうしてだろうか。
まず「護憲派」であるが、政治勢力では共産党や社民党などのいわゆる左翼、ないし革新勢力がこちら側、対して「改憲派」は自民党が中心だがこれは右派、ないし保守と呼ばれる。革新が守って保守が改めようとするという、言葉と反対である。
一般市民的には「護憲派」は基本的に反戦、ないし平和主義者、「改憲派」は国を守るには戦力も必要、と考えるグループにざっと分けられるだろう。改憲の動機としてアメリカに押し付けられた、という成り立ちに反発して「自主憲法」を制定するという考え方もある。
<理想的な憲法>
私はといえば、当然ながら改憲派に属している。理想としては聖徳太子の17条憲法、および明治維新の五箇条の御誓文を土台とした新しい憲法を創るべきと考えている。しかし、なかなかその理想像が見えてこない(創ってみたいが)。改憲派全般からも残念ながら決定版というべき新憲法案が提出できていないという状況であろう。
理想的な憲法に至るにはまだ時間が必要なのだろうけれども、最近の国際情勢の緊迫化をみると少なくとも自衛隊の合法化は喫緊の課題である。およそ常軌を逸した狂人が最高指導者と呼ばれている不思議な国がすぐそばにある。自衛隊は結構立派な装備と厳しい訓練を積んでいる隊士諸君はそろっているが、なにしろ法的に「戦力」ではないので、自分で作った様々な縛りがあり、どんな無法者が来ても法律をにらみながら防がねばならないという自縄自縛隊である。後ろ手で縛ってボクシングをせよ、とでもいう状況だ。
<日本の劣化の原因は9条>
最近ますます日本人は自分でものを考えなくなっているように思う。マスコミの報道を見ても、事実を述べるだけでその向こうにある原因に踏み鋳込もうとする姿勢がほとんど感じられない。薄っぺらなテロップのような報道が多い。
この原因になっているのが憲法9条だ、と言ったら飛躍しすぎだろうか。しかし私にはどうもそうとしか考えられない。憲法9条が根っこから自分で考える力を日本人から奪っているのである。
日本国憲法前文では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とし、9条で1項で戦争の放棄、2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と宣言している。
<第9条第3項>
これは極めて無防備で、無抵抗主義そのものの内容である。昭和40年代、私が中学のころこの憲法の言わんとするところは聖書にある「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」という事だ、と教えられた。それを中国、ロシアという侵略がテーゼの国々、北朝鮮という狂人国家、韓国という日本の領土を占領している潜在敵対国などに囲まれた環境で憲法としているのだから、国民としては心配で心配でたまらない状況である、、、はずである。
にもかかわらず、この国では戦後ほとんどの期間、国民は平和を謳歌し、深刻な危機感はほとんど持っていない。マスコミも現実感覚の乏しい太平楽を並べるばかりである。
なぜか?これは明文化されていないが第9条の第3項があるからである。そこにはこう書いてある。
第3項「危なくなったらアメリカにすがる。」
これだけ尽くしているんだから旦那さんは私を見捨てるはずがない。これが石原慎太郎が「日本はアメリカのメカケ」といったことの意味であろう。
こんな自尊心を失った日本人を見たら独立自尊のために命を懸けた維新の英傑たちは何と言うだろう。改憲は喫緊の課題である。
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