2016年10月6日木曜日

田母神裁判傍聴記 1

 このブログの内容とは方向が違うが、昨日生まれて初めて「裁判」というものを傍聴した。こうした経験がない人も多いだろうから様子など説明しておこう。

 傍聴したのは、田母神俊雄さんが被告となっている、平成26年の都知事選での公職選挙法違反事件である。

 田母神さんは航空幕僚長という航空自衛隊のトップだった人である。戦前の日本について全否定することに異をとなえる論文をAPA懸賞に応募して最優秀となったことが問題となり、職を更迭されたが、そのことで却って「時の人」となり盛んな講演、マスコミ出演、出版で相当な有名人となった。その勢いをかって前々回の都知事選に出馬、当選はならなかったが、60万票という大きな票を獲得している。

 ところが、この時の選挙で集まった政治資金(1億数千万円)のスタッフによる使いこみが発覚し、その調査の過程で、運動員に公職選挙法に違反して報酬を配ったということで今春起訴されている。ご本人は4月に逮捕されたまま、9月末まで何と半年に渡って東京拘置所で身柄を拘束され、ようやく先週仮釈放となったのである。

 私は、今、古代史を正す、ということを目標にしているが、これは「日本史を正す」ことの一環であり、田母神さんのこれまでの活動についてはそれなりの共感を持ってながめていた。それだけに今回の「事件」についてはその推移と背景について興味を持ち続けている。昨日は、これまで裁判というものを見たことがない、ということもあり一度実際に見てみようということで出掛けた次第。

 さて、裁判であるが、今回は第5回公判とのことだ。事前に10月5日午前10:00開廷で整理券は9:30に来ている人での抽選と聞いていたので9:15ごろに霞が関の東京地裁へ出向いた。

 地裁の入口で聞くと「傍聴の人はあっち」といって入口向かって左を指さされた。そこに整理ワクで区切ったスペースがあり番号の入った抽選券を受取る。13番だった。「意外に少ないんだな」と思いながら待ちスペースで時間まで待つ。係員に聞くと今日の傍聴席は28席あるという。その時点ではまだ定員以下だったが、ポツリポツリと人が来る。来た順ではないので慣れている人はギリギリに来るのだろう。

 結局、最後にバタバタと人が増え40人近くになった。抽選である。9:30に締切ってガイドテープでスペースを閉じ、「パソコンで抽選します」と伝えられる。少し時間を置いて、プリントアウトした表が前のホワイトボードに張り出された。13番は入っていて当選である。その場で外れた人は券を回収され、当選者は10時までに4階の法廷に行くように指示された。

 しかし、裁判とは大変なことだ。この抽選に約10人近い係員が関わっている。もっと大規模な列が出来る公判も時々報道されるが、手続きを管理するにも大きなコストがかかるだろう。

 そのまま本館入口へ行き入ろうとするとまず手荷物検査がありバッグのX線検査を通過する。4Fまでエレベータで上ると法廷前のスペースで再度検査である。「手荷物は携帯電話含めお預け下さい。筆記用具とメモは持込んで結構ですが、録音、写真等はできる機械は持込めません」ということで、手荷物を預けたあと金属探知機で体の前後をチェックされ、音が鳴れば触診する。私は腕時計が反応し、シャツをまくって時計を示した。

 検査が終ったところで開廷15分前ぐらいだっただろう。列に並んで開廷を待つ。しかし、10月というのに随分暑かった。10月に入ったらエアコンはつけないのか、設定が高いのか、待つ間も汗ばむ感じだ。10時3分前ぐらいに扉が開き、ようやく法廷に入った。

(以下は明日に)


2016年10月4日火曜日

神の道 5

 神道のもともとの姿は必ずしも神社があったとはいえない。
山や磐座が神のいるところとしてマツられたのが初期(いつが初期かわからないが)の神道であったと思われる。

 その場所に集団の人々があつまって神を祀った。その基本は豊作を願うことであり、豊作を感謝することだったのである。そして、その「願い」のために、人々が心をひとつにして神に祈るのである。

 これは、宗教というより生産して生きること、そのものである。この教えを信じる、信じないという選択肢はその構成員にはない。そこで生活することと同義なのである。

 神道のルーツがそうであるなら、今の生産生活から離れた神社でも、「幸せを願う」ことが祈りの中心であることは当然であろう。


2016年9月30日金曜日

邪馬台国図書館



 人間いくつになっても、世の中には様々な知らないことがあるものだ。

 先日の全邪馬連での発表のあと、会の幹部の方に話しかけられた。
自己紹介をされたあと、簡単なしおりで説明されたのが、その方は千葉で自前で邪馬台国図書館という私設の図書館を館長として運営されているという。古代史関係の書籍が5,000冊以上あるそうだ。お話の趣旨は、その図書館に拙著『よみがえる神武天皇』を寄贈してくれないか、とのことであった。たまたま余部を持っていたので、よろこんで寄贈させて頂いた。

 そんなことも忘れかけていた昨日、先日の館長さんから丁寧なお手紙を頂戴し、HPに掲載した旨もお知らせ頂いた。拝見すると過分のお言葉で紹介してくれておりました。ありがとうございました。

 自分でアパートをそのために借りて、こんな活動をしている方もいるんだと、感心したところです。


邪馬台国図書館HP:
http://yamataikokutosyokan.web.fc2.com/

拙著『よみがえる神武天皇』の紹介:
http://yamataikokutosyokan.web.fc2.com/heya0/kantyou89.htm


2016年9月29日木曜日

神武天皇 5

 神武天皇はBC44年(日本書紀ではBC667年)に日向を発ったわけだが、この時の様子はどのようなものであったか?

 神武天皇の故郷としては私はひとつは宮崎市郊外の生目の丘、もうひとつはもっと内陸に入った高原町(たかはる)を考えている。両者に共通するのは距離は違うがどちらも西に高千穂の峰が望め、8/6に紹介したダイヤモンド高千穂(山頂に夕陽が沈む)が望めることである。

 このどちらかで育った神武天皇(佐野の尊)は近隣の朋輩を集めて「美しき国」を目指して旅立ったのである。

 しかしこの頃(弥生中期)の日向は、北部九州に比べて稲作が広範囲には拡がっておらず、弥生遺跡も非常に少ない。

 すなわち「東征軍」のスタートも、まことにささやかなものであったと考えられるのである。


2016年9月28日水曜日

邪馬台国 5

 邪馬台国問題は日本の古代史の中での最大の謎だという見方が一般的である。邪馬台国がどこにあったのか、後の大和朝廷とどうつながるのか、この問題の見通しがつけば、古代日本の国家形成についてもその姿が見えるであろう、という見方である。

 ところが、これはいわば日本のことだけを考えて、日本史の中での邪馬台国の位置づけを問うているのであるが、ちょっと視点を変えて、その頃の中国の、あるいは魏の国にとって一体邪馬台国とは何なのか、ということを述べてみよう。

 この時代は中国は魏、呉、蜀が鼎立するいわゆる三国時代であり、覇権を争っていたことは三国志ファンにはよく知られている。卑弥呼の時代は魏を建てた曹操はすでに亡く(220年亡)後を息子の曹丕、孫の曹叡が継いでいた。

 魏志倭人伝が含まれる三国志を書いた陳寿は魏、呉、蜀それぞれを別建てとし魏志30巻、呉志20巻、蜀志15巻から成っている。


2016年9月23日金曜日

邪馬台国連絡協議会で発表しました。

 全国の古代史民間研究者の大連合である「全国邪馬台国連絡協議会」という組織があります。9月19日(月、祝)の会員発表会で「春秋2倍暦による日本書紀の復元」と題して発表致しました。

 拙著『よみがえる神武天皇』のベースとなっている考え方であり、これによってこれまで古代史にかかっていた霧が晴れると考えています。

 何とか一般常識になるようアピールしていきたいと思っています。
プレゼン資料表紙


発表映像(30分)

2016年9月21日水曜日

週刊新潮

今日(9月21日)発売の週刊新潮が、拙著『よみがえる神武天皇』の紹介を載せてくれている。(P. 64、WATCH & TRYのコーナー)

 「副題に、日本書紀の暗号を読み解く、と謳っているように本書は日本書紀を道標としながら、日本の古代史を抜本的に見直そうと試みた労作である。」とのコメントを載せてくれている。

 過分のコメントをいただきまして、感謝しております。