神道のもともとの姿は必ずしも神社があったとはいえない。
山や磐座が神のいるところとしてマツられたのが初期(いつが初期かわからないが)の神道であったと思われる。
その場所に集団の人々があつまって神を祀った。その基本は豊作を願うことであり、豊作を感謝することだったのである。そして、その「願い」のために、人々が心をひとつにして神に祈るのである。
これは、宗教というより生産して生きること、そのものである。この教えを信じる、信じないという選択肢はその構成員にはない。そこで生活することと同義なのである。
神道のルーツがそうであるなら、今の生産生活から離れた神社でも、「幸せを願う」ことが祈りの中心であることは当然であろう。
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