2016年10月21日金曜日

神武天皇 7

 神武東征は作り事である、と評する「難クセ」の中にたとえば、この話は神功皇后が難波で前妻の2人の皇子を討つ話と似ている、とか、天武天皇の壬申の乱の軍事行動をモデルにしているから、とかいうものがある。

 しかし、神功皇后のケースと神武東征の共通点といえば、船で瀬戸内海を東進した、というぐらいのことだ。九州から近畿へ行くなら誰でも瀬戸内海を通るだろう。四国の南を通ったといえば奇抜だが、合理性がない。

 壬申の乱との比較で、どちらも現在の榛原を通ったところが似ている、という批判をしている人もいる。だが、奈良盆地の東南側で軍事行動をすれば榛原を通るしかないのは地図を見れば明らかなのだ。(私はこのあたりの地形はよく知っている。)

 そもそもやや成り行きで始った神功皇后の東進や壬申の乱に比べて神武東征ははるかに計画的で合理的な内容になっている。これが後世のフィクションであったなら、ものすごい創作力を持ったライターを必要とするが、日本の歴史上そんな創作力のある人間を見たことがない。

 なぜ、そんな計画性と合理性があるか?

 それは、この話が事実であり、かつ、万人に一人の成功者の物語だからである。


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