神武天皇はBC44年(日本書紀ではBC667年)に日向を発ったわけだが、この時の様子はどのようなものであったか?
神武天皇の故郷としては私はひとつは宮崎市郊外の生目の丘、もうひとつはもっと内陸に入った高原町(たかはる)を考えている。両者に共通するのは距離は違うがどちらも西に高千穂の峰が望め、8/6に紹介したダイヤモンド高千穂(山頂に夕陽が沈む)が望めることである。
このどちらかで育った神武天皇(佐野の尊)は近隣の朋輩を集めて「美しき国」を目指して旅立ったのである。
しかしこの頃(弥生中期)の日向は、北部九州に比べて稲作が広範囲には拡がっておらず、弥生遺跡も非常に少ない。
すなわち「東征軍」のスタートも、まことにささやかなものであったと考えられるのである。
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