2016年9月13日火曜日

邪馬台国 3

日本人が国内での戦争のことを考える場合、どうしても戦国時代の群雄割拠のイメージが潜在的にあると思う。ところが弥生時代と戦国時代では人口規模が大幅に違っている。

 江戸時代の人口はざっと3,000万人といわれるが、江戸初期の水田開発で人口が急増しての3,000万人なので、戦国時代では1,500万人前後と考えておいてよかろう。であれば、各県ごとにざっと20万とか30万人の人口はいるのである。

 それに対して弥生時代は、日本全体で50万人とすれば、各県ごとに1、2万人ということになるであろうが、それが数十人から多くて数百人のムラに分かれて細く点在しているということである。そんな状況で「群雄割拠」というような強い地方勢力が、西日本各地に存在できるか?そして、おそらく各県のレベルでまとまって相争うことなどありえるであろうか?

 すなわち、人口のレベルを考えれば西日本全体が乱れて相争うなど、やはりリアリティがないのである。

 ところが、これが北部九州の地域紛争と考えると、突然リアリティは高まる。北部九州では稲作が早く始まったことから、人口密度も比較すれば高く、吉野ヶ里のような集落が密度高く存在したと考えられる。こんな範囲での紛争であれば、大変現実的な話となるのである。


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