日向を出たあとの足どりと行動を見て、神武青年(狭野尊、さののみこと)がどんな人間であったか、推測してみよう。
まず、基本として彼が持ち合わせていたのが情報収集力と、それに基いた構想力である。極めて情報の乏しい時代に「大和の国建国」という大目標を立て、そこに向かって常に新しい情報を吸収しながら漸進していったことがそれを示している。
次にしっかりした計画力と実行力があったことがあげられる。
大目標に対して、着実に進んでいくためには、それを各段階に落した短期計画を作り、実行していくことが必要である。彼の足取りは実に着実で、理に適った順を踏んでいる。
更に見てとれるのが、並外れた統率力と吸引力である。最初故郷の友と兄弟を率いて旅立ち、吉備で3年間留まって大和進攻ができるだけの軍勢、装備を用意している。それには、人を引きつけ、計画を納得させる説得力や信望がなければならない。
そしてこれらの基礎となっているのが、日向での幼い時から培った体力、知力、地勢眼、サバイバルスキル、などの基礎能力であろう。
こうした能力と条件を持った青年が、懸命に目標に向かって突き進んだのが「神武東征」である。しかし、他の誰でもなく、彼が後世「神武天皇」と呼ばれるようになったのは、彼の考えでは天照大神のご加護、別の呼び方でいえば大きな運があったからだ。
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