邪馬台国問題は日本の古代史の中での最大の謎だという見方が一般的である。邪馬台国がどこにあったのか、後の大和朝廷とどうつながるのか、この問題の見通しがつけば、古代日本の国家形成についてもその姿が見えるであろう、という見方である。
ところが、これはいわば日本のことだけを考えて、日本史の中での邪馬台国の位置づけを問うているのであるが、ちょっと視点を変えて、その頃の中国の、あるいは魏の国にとって一体邪馬台国とは何なのか、ということを述べてみよう。
この時代は中国は魏、呉、蜀が鼎立するいわゆる三国時代であり、覇権を争っていたことは三国志ファンにはよく知られている。卑弥呼の時代は魏を建てた曹操はすでに亡く(220年亡)後を息子の曹丕、孫の曹叡が継いでいた。
魏志倭人伝が含まれる三国志を書いた陳寿は魏、呉、蜀それぞれを別建てとし魏志30巻、呉志20巻、蜀志15巻から成っている。
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