邪馬台国問題は日本の古代史の最大の謎とされている。私は、邪馬台国はもし本当に存在したとしても北部九州の一勢力に過ぎなかったと考えている。だから「最大の謎」とは思えないが、古代史マニアの間では常々いつ果てるかもわからない議論が続いている。
邪馬台国のことを記録しているのは、三国志の中の「魏志倭人伝」であるが、そこに書かれている邪馬台国連合成立のプロセスは、
「倭国全体が乱れた」→「女王を共立した」→「邪馬台国の女王卑弥呼が倭国の統率者になった」、というものである。
ここで逆に考えると、邪馬台国が九州か、近畿かによって「倭国全体が乱れた」という内容も変わってくるだろう。九州北部の奴国なども邪馬台国連合に入っているのだから、もし近畿に邪馬台国があれば「乱れた」のは西日本全体ということになる。一方、九州にあったなら九州北部の地域紛争ということとなろう。
さて、どちらがリアリティがあるか?
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