「邪馬台国」なる国は、西晋の歴史家 陳寿が書いた「三国志」の中の「魏志倭人伝」に登場する。この「三国志」はちくま文芸文庫で8冊にもなる大部なもので、日本人に親しまれている三国志演義のもとになったものだ。魏、呉、蜀の興亡を詳しく述べているものだが、その中の「魏志倭人伝」はわずかに2,000文字に過ぎない。原稿用紙5枚である。
日本に関係するということで魏志倭人伝に注目する本と読者が日本には多いため、この部分のみに多大な精力を費し、複雑怪奇な珍解釈が数多く出回っている。まさに木を見て森を見ずという印象が強い。
そもそも、中国(支那)の知識人には、我々が潜在的に期待しているような日本に対する重要視など現在もないし、この時代にはまさに単なる「東夷」(東の野蛮人)の一つに過ぎない。その東の野蛮人のために複雑怪奇なパズルを作るほど陳寿先生はヒマではない。
では、なぜ陳寿は「魏志倭人伝」を書いたのか?
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