神武東征は作り事である、と評する「難クセ」の中にたとえば、この話は神功皇后が難波で前妻の2人の皇子を討つ話と似ている、とか、天武天皇の壬申の乱の軍事行動をモデルにしているから、とかいうものがある。
しかし、神功皇后のケースと神武東征の共通点といえば、船で瀬戸内海を東進した、というぐらいのことだ。九州から近畿へ行くなら誰でも瀬戸内海を通るだろう。四国の南を通ったといえば奇抜だが、合理性がない。
壬申の乱との比較で、どちらも現在の榛原を通ったところが似ている、という批判をしている人もいる。だが、奈良盆地の東南側で軍事行動をすれば榛原を通るしかないのは地図を見れば明らかなのだ。(私はこのあたりの地形はよく知っている。)
そもそもやや成り行きで始った神功皇后の東進や壬申の乱に比べて神武東征ははるかに計画的で合理的な内容になっている。これが後世のフィクションであったなら、ものすごい創作力を持ったライターを必要とするが、日本の歴史上そんな創作力のある人間を見たことがない。
なぜ、そんな計画性と合理性があるか?
それは、この話が事実であり、かつ、万人に一人の成功者の物語だからである。
2016年10月21日金曜日
2016年10月20日木曜日
神武天皇 6
ところで神武天皇は本当に実在したのか?
参議院選のあとの特番で、池上彰氏は「神武天皇は教科書でも架空の人物とされている」と断言している。8月の朝まで生テレビでは田原総一朗氏が「あんなものデッチ上げだ」と大声で存在を否定した。こういうマスコミ界の大物が断定するのだからそれが正しいんだろうと視聴者が考えるのも無理はない。
しかし、このお2人、特に古代史について自分で考えたり調べたりしたわけではない。池上氏は非常に幅広いジャンルについて、教科書的な内容をわかりやすく解説することの達人である。
しかし、真実の扉を開く、というような切り込みは、これまでやったことがない。彼のいう「教科書でも架空の人物とされている」というのは事実ではなく「教科書には神武天皇は載っていない」というのが正確である。
田原氏は様々な分野に鋭く切り込んできた経歴を持っているが、軍国少年から価値観の逆転を経験した反動ででき上った歴史観をそのまま引ずっている。
要するに、彼らの頭の中にあるのは、戦後の「皇国史観否定」の論壇ででき上った神武否定論であり、前世紀の遺物、というべき内容なのである。
確かに、「紀元前660年に即位した」といわれれば、「嘘だろう」と論壇するのも道理があろう。しかし、これは春秋2倍暦によって紀元前37年の即位に修正するだけで、現実味を帯びた話となる。
後に残るのは左傾学者が並べ立てた「難クセ」の山だけである。こんなところに真実があるはずがないのである。
参議院選のあとの特番で、池上彰氏は「神武天皇は教科書でも架空の人物とされている」と断言している。8月の朝まで生テレビでは田原総一朗氏が「あんなものデッチ上げだ」と大声で存在を否定した。こういうマスコミ界の大物が断定するのだからそれが正しいんだろうと視聴者が考えるのも無理はない。
しかし、このお2人、特に古代史について自分で考えたり調べたりしたわけではない。池上氏は非常に幅広いジャンルについて、教科書的な内容をわかりやすく解説することの達人である。
しかし、真実の扉を開く、というような切り込みは、これまでやったことがない。彼のいう「教科書でも架空の人物とされている」というのは事実ではなく「教科書には神武天皇は載っていない」というのが正確である。
田原氏は様々な分野に鋭く切り込んできた経歴を持っているが、軍国少年から価値観の逆転を経験した反動ででき上った歴史観をそのまま引ずっている。
要するに、彼らの頭の中にあるのは、戦後の「皇国史観否定」の論壇ででき上った神武否定論であり、前世紀の遺物、というべき内容なのである。
確かに、「紀元前660年に即位した」といわれれば、「嘘だろう」と論壇するのも道理があろう。しかし、これは春秋2倍暦によって紀元前37年の即位に修正するだけで、現実味を帯びた話となる。
後に残るのは左傾学者が並べ立てた「難クセ」の山だけである。こんなところに真実があるはずがないのである。
2016年10月19日水曜日
春秋二倍暦仮説について
日本書紀という書物がある。
名前は多くの人が知っているだろうが、実際読んだことがある人は極めて少数だろう。日本全体では100人にひとりも読んでいないと思われ、1,000人にひとりぐらいではないかと想像している。内容が近い書物の古事記は結構人気があり、翻訳本、解説含め多くの出版や、古事記をもとにした演劇なども作られている。
日本書紀と古事記の大きな違いは、日本書紀が日本の「正史」であり、奈良時代初期の日本の国を挙げて編集された書物であるのに対して、古事記は稗田阿礼が話したことを太安万侶が記述したという、2人で作った書物であることだ。
古事記は詩(うた)である、とも言われ、文学性が高く歌が多く掲載されている、民族の叙事詩である。
これに対して日本書紀はどうも人気がない。それだけではなく、ある方面からは「ねつ造された歴史書」「勝者(天皇家)の歴史」「中国史書に劣る荒唐無稽な伝承」といった罵詈雑言があびせられるかわいそうな存在である。
名前は多くの人が知っているだろうが、実際読んだことがある人は極めて少数だろう。日本全体では100人にひとりも読んでいないと思われ、1,000人にひとりぐらいではないかと想像している。内容が近い書物の古事記は結構人気があり、翻訳本、解説含め多くの出版や、古事記をもとにした演劇なども作られている。
日本書紀と古事記の大きな違いは、日本書紀が日本の「正史」であり、奈良時代初期の日本の国を挙げて編集された書物であるのに対して、古事記は稗田阿礼が話したことを太安万侶が記述したという、2人で作った書物であることだ。
古事記は詩(うた)である、とも言われ、文学性が高く歌が多く掲載されている、民族の叙事詩である。
これに対して日本書紀はどうも人気がない。それだけではなく、ある方面からは「ねつ造された歴史書」「勝者(天皇家)の歴史」「中国史書に劣る荒唐無稽な伝承」といった罵詈雑言があびせられるかわいそうな存在である。
2016年10月7日金曜日
田母神裁判傍聴記 2
法廷に入ると既に傍聴席から向かって右に検事側2名(男女)、左に弁護側6名(前列4名、後列の二人は多分弁護側)が向かい合う形。
前の判事席に3名(真ん中男性の裁判長、左右に判事が一人づつ、男女)がならんでした。
中央の椅子に前を向いて一人座っている。今日の証人であった。そこに田母神さんが入ってきて、弁護団の前の席に座った。
この日は会計責任者の鈴木新さんへの証人尋問である。この人はすでに公職選挙法違反で執行猶予付きの有罪判決を受けている。
最初に検事からいくつか質問があって、そのあと弁護人からの質問に移った。
主任弁護人はずいぶん太った人で顔もややコワモテ、全体の印象は紳士風とはいいがたいが、しゃべりだすとさすが弁護士で、理詰めにその時の状況を聞き出していく。
質問は2014年2月9日の選挙の後に田母神さん、選対本部長の水島さん、事務局長の島本さん、会計責任者の鈴木さん(証人)が、どう打ち合わせをして、意思決定して、お金が配られたのかを確認する、ということである。
しかし、一度聞いたことについても、「記憶で言っているか、後からつじつまを合せているのか?」というような揺さぶりをかけるので、なかなか話は進まない。
弁護士も体力勝負の所があると思った。
これまでの公判でどんな話があったのかよくわからないので、全体像が見えないが、今回は水島さんの了解が取れたのかどうか、という部分に時間が費やされた。鈴木氏は自分は納得していると思っていた、というようなことを何度も話していた。
しかし、これは田母神さんの問題とは直接関係ないので、外堀を埋める作業なのだろう。
今回の裁判で一番問題なのは、島本さんという事務局長だ。この人が「配ろう」と言い出したわけだが、秘書暦20年のベテランである。なぜそんな自殺行為ともいうべきことを始めたのか?
しかもいまだに黙秘を続けているという。次回証人喚問予定だそうだが、法廷でも黙秘をするのか。
事件の全貌と背景はまだわからない。
終わったのは12時近くになっていた。法廷の中は本当に暑かった。
前の判事席に3名(真ん中男性の裁判長、左右に判事が一人づつ、男女)がならんでした。
中央の椅子に前を向いて一人座っている。今日の証人であった。そこに田母神さんが入ってきて、弁護団の前の席に座った。
この日は会計責任者の鈴木新さんへの証人尋問である。この人はすでに公職選挙法違反で執行猶予付きの有罪判決を受けている。
最初に検事からいくつか質問があって、そのあと弁護人からの質問に移った。
主任弁護人はずいぶん太った人で顔もややコワモテ、全体の印象は紳士風とはいいがたいが、しゃべりだすとさすが弁護士で、理詰めにその時の状況を聞き出していく。
質問は2014年2月9日の選挙の後に田母神さん、選対本部長の水島さん、事務局長の島本さん、会計責任者の鈴木さん(証人)が、どう打ち合わせをして、意思決定して、お金が配られたのかを確認する、ということである。
しかし、一度聞いたことについても、「記憶で言っているか、後からつじつまを合せているのか?」というような揺さぶりをかけるので、なかなか話は進まない。
弁護士も体力勝負の所があると思った。
これまでの公判でどんな話があったのかよくわからないので、全体像が見えないが、今回は水島さんの了解が取れたのかどうか、という部分に時間が費やされた。鈴木氏は自分は納得していると思っていた、というようなことを何度も話していた。
しかし、これは田母神さんの問題とは直接関係ないので、外堀を埋める作業なのだろう。
今回の裁判で一番問題なのは、島本さんという事務局長だ。この人が「配ろう」と言い出したわけだが、秘書暦20年のベテランである。なぜそんな自殺行為ともいうべきことを始めたのか?
しかもいまだに黙秘を続けているという。次回証人喚問予定だそうだが、法廷でも黙秘をするのか。
事件の全貌と背景はまだわからない。
終わったのは12時近くになっていた。法廷の中は本当に暑かった。
2016年10月6日木曜日
田母神裁判傍聴記 1
このブログの内容とは方向が違うが、昨日生まれて初めて「裁判」というものを傍聴した。こうした経験がない人も多いだろうから様子など説明しておこう。
傍聴したのは、田母神俊雄さんが被告となっている、平成26年の都知事選での公職選挙法違反事件である。
田母神さんは航空幕僚長という航空自衛隊のトップだった人である。戦前の日本について全否定することに異をとなえる論文をAPA懸賞に応募して最優秀となったことが問題となり、職を更迭されたが、そのことで却って「時の人」となり盛んな講演、マスコミ出演、出版で相当な有名人となった。その勢いをかって前々回の都知事選に出馬、当選はならなかったが、60万票という大きな票を獲得している。
ところが、この時の選挙で集まった政治資金(1億数千万円)のスタッフによる使いこみが発覚し、その調査の過程で、運動員に公職選挙法に違反して報酬を配ったということで今春起訴されている。ご本人は4月に逮捕されたまま、9月末まで何と半年に渡って東京拘置所で身柄を拘束され、ようやく先週仮釈放となったのである。
私は、今、古代史を正す、ということを目標にしているが、これは「日本史を正す」ことの一環であり、田母神さんのこれまでの活動についてはそれなりの共感を持ってながめていた。それだけに今回の「事件」についてはその推移と背景について興味を持ち続けている。昨日は、これまで裁判というものを見たことがない、ということもあり一度実際に見てみようということで出掛けた次第。
さて、裁判であるが、今回は第5回公判とのことだ。事前に10月5日午前10:00開廷で整理券は9:30に来ている人での抽選と聞いていたので9:15ごろに霞が関の東京地裁へ出向いた。
地裁の入口で聞くと「傍聴の人はあっち」といって入口向かって左を指さされた。そこに整理ワクで区切ったスペースがあり番号の入った抽選券を受取る。13番だった。「意外に少ないんだな」と思いながら待ちスペースで時間まで待つ。係員に聞くと今日の傍聴席は28席あるという。その時点ではまだ定員以下だったが、ポツリポツリと人が来る。来た順ではないので慣れている人はギリギリに来るのだろう。
結局、最後にバタバタと人が増え40人近くになった。抽選である。9:30に締切ってガイドテープでスペースを閉じ、「パソコンで抽選します」と伝えられる。少し時間を置いて、プリントアウトした表が前のホワイトボードに張り出された。13番は入っていて当選である。その場で外れた人は券を回収され、当選者は10時までに4階の法廷に行くように指示された。
しかし、裁判とは大変なことだ。この抽選に約10人近い係員が関わっている。もっと大規模な列が出来る公判も時々報道されるが、手続きを管理するにも大きなコストがかかるだろう。
そのまま本館入口へ行き入ろうとするとまず手荷物検査がありバッグのX線検査を通過する。4Fまでエレベータで上ると法廷前のスペースで再度検査である。「手荷物は携帯電話含めお預け下さい。筆記用具とメモは持込んで結構ですが、録音、写真等はできる機械は持込めません」ということで、手荷物を預けたあと金属探知機で体の前後をチェックされ、音が鳴れば触診する。私は腕時計が反応し、シャツをまくって時計を示した。
検査が終ったところで開廷15分前ぐらいだっただろう。列に並んで開廷を待つ。しかし、10月というのに随分暑かった。10月に入ったらエアコンはつけないのか、設定が高いのか、待つ間も汗ばむ感じだ。10時3分前ぐらいに扉が開き、ようやく法廷に入った。
(以下は明日に)
傍聴したのは、田母神俊雄さんが被告となっている、平成26年の都知事選での公職選挙法違反事件である。
田母神さんは航空幕僚長という航空自衛隊のトップだった人である。戦前の日本について全否定することに異をとなえる論文をAPA懸賞に応募して最優秀となったことが問題となり、職を更迭されたが、そのことで却って「時の人」となり盛んな講演、マスコミ出演、出版で相当な有名人となった。その勢いをかって前々回の都知事選に出馬、当選はならなかったが、60万票という大きな票を獲得している。
ところが、この時の選挙で集まった政治資金(1億数千万円)のスタッフによる使いこみが発覚し、その調査の過程で、運動員に公職選挙法に違反して報酬を配ったということで今春起訴されている。ご本人は4月に逮捕されたまま、9月末まで何と半年に渡って東京拘置所で身柄を拘束され、ようやく先週仮釈放となったのである。
私は、今、古代史を正す、ということを目標にしているが、これは「日本史を正す」ことの一環であり、田母神さんのこれまでの活動についてはそれなりの共感を持ってながめていた。それだけに今回の「事件」についてはその推移と背景について興味を持ち続けている。昨日は、これまで裁判というものを見たことがない、ということもあり一度実際に見てみようということで出掛けた次第。
さて、裁判であるが、今回は第5回公判とのことだ。事前に10月5日午前10:00開廷で整理券は9:30に来ている人での抽選と聞いていたので9:15ごろに霞が関の東京地裁へ出向いた。
地裁の入口で聞くと「傍聴の人はあっち」といって入口向かって左を指さされた。そこに整理ワクで区切ったスペースがあり番号の入った抽選券を受取る。13番だった。「意外に少ないんだな」と思いながら待ちスペースで時間まで待つ。係員に聞くと今日の傍聴席は28席あるという。その時点ではまだ定員以下だったが、ポツリポツリと人が来る。来た順ではないので慣れている人はギリギリに来るのだろう。
結局、最後にバタバタと人が増え40人近くになった。抽選である。9:30に締切ってガイドテープでスペースを閉じ、「パソコンで抽選します」と伝えられる。少し時間を置いて、プリントアウトした表が前のホワイトボードに張り出された。13番は入っていて当選である。その場で外れた人は券を回収され、当選者は10時までに4階の法廷に行くように指示された。
しかし、裁判とは大変なことだ。この抽選に約10人近い係員が関わっている。もっと大規模な列が出来る公判も時々報道されるが、手続きを管理するにも大きなコストがかかるだろう。
そのまま本館入口へ行き入ろうとするとまず手荷物検査がありバッグのX線検査を通過する。4Fまでエレベータで上ると法廷前のスペースで再度検査である。「手荷物は携帯電話含めお預け下さい。筆記用具とメモは持込んで結構ですが、録音、写真等はできる機械は持込めません」ということで、手荷物を預けたあと金属探知機で体の前後をチェックされ、音が鳴れば触診する。私は腕時計が反応し、シャツをまくって時計を示した。
検査が終ったところで開廷15分前ぐらいだっただろう。列に並んで開廷を待つ。しかし、10月というのに随分暑かった。10月に入ったらエアコンはつけないのか、設定が高いのか、待つ間も汗ばむ感じだ。10時3分前ぐらいに扉が開き、ようやく法廷に入った。
(以下は明日に)
2016年10月4日火曜日
神の道 5
神道のもともとの姿は必ずしも神社があったとはいえない。
山や磐座が神のいるところとしてマツられたのが初期(いつが初期かわからないが)の神道であったと思われる。
その場所に集団の人々があつまって神を祀った。その基本は豊作を願うことであり、豊作を感謝することだったのである。そして、その「願い」のために、人々が心をひとつにして神に祈るのである。
これは、宗教というより生産して生きること、そのものである。この教えを信じる、信じないという選択肢はその構成員にはない。そこで生活することと同義なのである。
神道のルーツがそうであるなら、今の生産生活から離れた神社でも、「幸せを願う」ことが祈りの中心であることは当然であろう。
山や磐座が神のいるところとしてマツられたのが初期(いつが初期かわからないが)の神道であったと思われる。
その場所に集団の人々があつまって神を祀った。その基本は豊作を願うことであり、豊作を感謝することだったのである。そして、その「願い」のために、人々が心をひとつにして神に祈るのである。
これは、宗教というより生産して生きること、そのものである。この教えを信じる、信じないという選択肢はその構成員にはない。そこで生活することと同義なのである。
神道のルーツがそうであるなら、今の生産生活から離れた神社でも、「幸せを願う」ことが祈りの中心であることは当然であろう。
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