神武天皇はどのような人物であったか?
日本書紀では日向の地で4人兄弟の4番目であった。45歳の時「この地は西に偏りすぎている」と判断し、「青山周る国の最中、美しい地」としての大和を目指して東征の途に出た、と記している。
これがBC667年となっているわけだが、「春秋2倍歴仮説」によると、BC44年に修正され、45歳も23歳に置き換えられることになる。
すると、この話は弥生中期のこととなるわけだが、私の見方は、これがそのまま史実であったと考えている。
史実であれば、ストーリーは考古学で実証されていることと矛盾してはならない。
では、宮崎の地は弥生時代どのような情勢にあったか?
宮崎には弥生遺跡は少なく、北部九州とは様相を異にしている。稲作が始まったのは北部九州ということもあり、加えて山に囲まれて自然災害の少ない北部九州に比べ、ふきっさらしで台風の害が大きく、かつ地味がやせていることが原因であろう。
すなわちそんな悪い条件の土地が、神武天皇の故地であった。
そんな地を見限って、より良い土地を求めて旅立った23歳の若者がのちに大をなしたのである。
そのスタートはまことにささやかなものであった。
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